笛作り三十年

第4回

人間は眠らなくても良いものだ。
眠るのは贅沢だ。

 笛を作り始めてから十年間は、体力の続く限りの努力を払った。経済面でも全てのものを笛に注いだ。この間私は一本の帯も、一足の足袋にも金を支払わなかった。私の見に着けるものはぼろぼろになって了った。笛が一本出来上がると、これをメッキ工場へ運び込むのだが、或る北風の強い冬の日に、筑土八幡で市電を下車、ふところ手をして北風に向かってメッキ工場へ急ぐ途中、私の羽織が飛ばされていたことに気がつかなかった。私の着物の尻には方尺大の穴があいているのだ。服装など気にしない私も、この帰途ばかりは市電に乗っても、電車のハメ板に尻を押し当てていた。

昼間、一寸のすきもなく働く私は、夜間が笛作りの時間なので、三時間も眠ることが出来る日はよい方だった。一ヶ月間に七日位は寝ない日があった。一度は十四日間一睡もしないことがあった。四、五日目にはこんなことを考えた。人間は眠らなくてもよいものだ。眠るのは贅沢だと。ところが笛が出来上がった晩に床に入ったら、目が冷めた時は翌々日の朝だった。それでも疲れることを知らなかった。
 この十年間の勤勉さで酒屋でもやっていたとしたら、いや酒屋だったら飲みつぶして、飲みつぶれて往生したかも知れないが、八百屋か豆腐屋でもやっていたら、今頃は都内に十軒位の支店を持ち、結城の着流し、総絞りのへこ帯に金グサリ、ゾッとするおやじになっていたかも知れない。私は、今、焼酎階級に甘んじている。否、焼酎を飲んで幸福を感じている。

この手記を書いている時もどこかで何人か何十人かの友「笛につながりを持つ友」が、私の笛を吹いていてくれる。笛を持つ人は、笛を持たない人より、どれほど幸福なことか、少なくとも、笛の中に息を吹き込んでいる時間だけは、その人は幸福だと考える。

 七千本の笛の中、戦災で灰になったもの、押入れの片隅に放り込まれたもの、それらを差し引いても一千本の笛は人の心を慰めていることだろう。人の世を楽しく、美しくしているだろう。焼酎はうまい。